『星をみるひと』昭和の終わりに誕生した“伝説のクソゲー”の真実を今こそ紐解く | ニコニコニュース
1987年にホット・ビィからファミリーコンピュータ用ゲームソフトとして発売された、『星をみるひと』。“ファミコン界のベストオブクソゲー”として名高い本作が、ついにNintendo Switch(TM)でのリメイクを果たしました! 不条理なシステムゆえの鬼難度で、発売当時はクリアした人がほとんどいなかったのではないでしょうか。そんな“伝説のクソゲー”がどのように生まれ変わったか、好奇心を抑えきれません。まずNintendo Switch(TM)版トレーラームービーを見てみましょう。
開始直後、エンカウントした敵に倒されてゲームオーバーという身も蓋もない内容には笑うしかありません。しかし実際にプレイを始めてみると、不条理な展開やシステムに笑い当時を懐かしむことはもちろん、そこに隠された面白さの可能性を目撃することもできました。今日までカルトなファンを虜にしてきたただの“クソゲー”に留まらない本質を、このリメイク版で実際に確認していきましょう。
文 / 内藤ハサミ
◆これは……噂以上の不条理
『星をみるひと』が発売された当時、筆者は9歳の小学生でした。周りには誰も遊んだことのある人がいなかったのですが、その個性的なゲーム性はたびたびゲーム好きな仲間の間で話題に上がりました。あるとき、大学生になる友だちのいとこが購入したと聞いて「サブカルチャーに精通しているクールな大人」という印象を勝手に持ち、憧れを募らせた思い出もあります。わざわざ“クソゲー”だと言われているようなソフトを購入する大人に、趣味人としての余裕を感じたんですね。顔も知らない友人のいとこは、はたしてクリアできたのでしょうか……。
「めちゃくちゃ難しくてヤバいゲームらしい」という噂を聞くけれど、誰も実際のゲーム画面を見たことがない。当時の小学生にとって『星をみるひと』は、そんな不思議なゲームでした。星をみるということはきっとメルヘンな星座の世界を旅するゲームなんだろうな……と、大きな誤解をしたまま大人になった筆者は2020年の今、30年以上実際に目にすることがなかったゲーム画面を見ています。ファミコンの画面そのままが再現されたレトロなグラフィックに、内蔵音源で構成されたBGMが懐かしく、高難度なゲームバランスも当時のまま。実に感慨深いことです。新機能が多数追加されたことで攻略はしやすくなったということですが、まずは何も手を加えず当時のままの状態で始めてみます。……その前向きなチャレンジ精神は、思っていた以上のクレイジーなゲームバランスによって木っ端みじんに打ち砕かれました。開始からわずか1分で、“さらまんど”の投げた“かりう”を食らいゲームオーバーしてしまうとは。これではレベル上げもままなりません。
運が良ければ倒せなくはない敵もいるので、地道すぎるけれど一戦ごとにセーブをして進もうかと考えたりもしましたが、本作のコンティニューはパスワード制。しかも状態がそのまま引き継がれるわけではなく、なぜか経験値と所持金がやや減った状態での再開となります。ということで、1戦闘ごとにパスワードを発行することはまったく現実的でないのです。強すぎるモブに対抗するための武器や防具を買おうにも、そのためのお金を稼ぐには戦闘に勝利することが必要です。……全方向に詰んでいる気がします。
そもそもオープニングすらなくマップに放り出されて唐突にゲームが始まるので、この主人公らしき“みなみ”とは何者なのか、なんでここにいるのかすらわからないのです。それに町の人はスイスイ移動しているにもかかわらず、自キャラだけマップの端まで行くのに日が暮れるのではないかと思うほど移動速度が遅いのも謎です。その他、町やダンジョンを出るとなぜか別の地点に出てくるなど、テストプレイとデバッグを全くしていないのではないかと疑ってしまうくらいの難解な仕様に悩まされること数十分。初期状態から全くゲームは進行していません。さすが、伝説と言われるとおりの理不尽さだと根を上げる寸前でした。当時のままのシステムだと、プレイは相当厳しいです。
しかし機能説明のウインドウをよく見ると、“巻き戻し”と“移動速度2倍”という新機能が用意されているではないですか。これです、まさにこれが欲しかった! 無理そうな敵が出たらキュルキュルと任意の場所までゲームを巻き戻せば詰むことはないですし、移動速度2倍はまだこれでもやや遅いかなというくらいではありますが、マップを歩くストレスが激減します。メニュー画面からクイックセーブ・ロードができる機能は、パスワード使用で所持金や経験値が減ることも回避。そしてお金(ゴールド)やレベルを任意に設定してゲームを始められるニューゲーム+を使えば、いきなりレベル30からのスタートができて至れり尽くせりの親切さです。これだけの新機能をフル活用しても依然として攻略が困難なことに変わりはないのですが(困難の理由は後述します)、筆者でもなんとかクリアができそうです。
戦闘の形式は、ターン制のコマンド選択式バトルです。一枚絵が並びエフェクトもほとんどない戦闘シーンは、ファミコンRPG黎明期ならではの粗削りさと言ったところでしょうか。レベル30に設定するとほぼ敵の攻撃は通らなくなり、10000ごーるど持っていれば最強の武器防具、高額なアイテムを買っても資金不足に陥ることはありません。
“かりう”を治す方法を持たないままだと反撃も逃走もできずにHPを削られ続けてやっぱり詰むのですが、巻き戻しがあれば敵とエンカウントするまえに戻ることができるのでなんとかゲームが進行します。敵に出会ったら巻き戻すことを繰り返せば、戦闘を全スルーすることも可能です。運頼みの要素を力技で解決する新機能に助けられまくったことで、オリジナル版のプレイ感覚とは少し変わってしまいました。しかし、こうでもしないと筆者がエンディングを見るのはほぼ無理だったと思います。
◆理不尽さのなかにキラリと光るもの
最大限に便利機能を使い、志も新たに再スタートを切った筆者をさらなる理不尽が襲います。実はゲームが始まってフィールドマップに放り出されてからずっと、何をしたらいいのかがわからないのです。主人公はジャンプ能力を持つ少年を探しているらしい、ということは町の人のセリフからわかったのですが……なぜその能力の仲間が必要なのか、そこまでのストーリーが説明されないので前後関係が掴めていません。町から町へと渡り歩くうち、きっと詳しいことや旅の目的が判明するだろうと考えていましたが甘かったですね。
結局、ストーリーの大半が理解できないままなんとなくエンディングを迎えました。新機能をフル活用しての総プレイ時間は4時間くらい。高レベルでスタートする新機能を使わずにプレイするならば、数十時間かかってもおかしくないと思います。3種類あるエンディングは、プレイヤーが最後に選択する項目で分岐します。“みなみ”たちが最後にどのような結末を迎えるのかはわかりましたが、そこまでに何があったのかがはっきりしませんし、最後の決断を選び取る動機もまったくわかりません。どのエンディングも友だちの友だちに起こった話をさらに又聞きしているようなつかみどころのなさで、感想すら持てずにプレイヤーの心は蚊帳の外です。そういえば味方側の戦闘画面に4つの枠があったことと、メインビジュアルを見た雰囲気から「最終的には4人パーティで戦うのだろう」とイメージしていましたが、筆者がクリアしたときのパーティにいた仲間は3人。ジャンプの使える“しば”は仲間にできたものの、右から二番目の枠は空白でした。……もうひとりは、おそらくゲームの背景イラスト左上にいる長い髪の女の子のはずですが、どこにいたのでしょうか? わからないことだらけです。
当時の人たちはどうやってこの置きどころのない気持ちを扱っていたのか調べてみたところ、詳しいストーリーや仕様はファミリーコンピュータソフトの説明書に書いてあるのみで、プレイヤーはそれを予備知識としていたのだそうです。いきなりプレイを始めた筆者が戸惑うのも無理はなかったというわけですね。
説明書の知識があることを前提にしてゲームが進んでいくので、読んでからプレイしたほうがいいですね。ゲーム内では全く説明されませんし、自分ですべての法則を理解するには難解すぎますが、本書を読んでいれば仕様の半分くらいは理解できます。それに納得できるかどうかは別ですが、少なくとも何もかもわからず途方に暮れることはないと思います。
説明書に書かれたストーリーを要約します。自分の素性も現在地がどこかもわからないサイキック少年“みなみ”は、ロボット、軍隊、謎の生物、超能力者狩りのデスサイキックなどさまざまな者たちから追われています。なぜかというと、巨大都市“アークシティ”では“クルーIII”というコンピュータが居住者を洗脳して都市管理をしていました。ところが“みなみ”のようなサイキックたちにはコントロールが効かなかったので、“サイキック狩り”をしてアークシティに連れ去っていたからなのでした。
これが最初にわかっていれば……いや、わかっていても攻略がスムーズに進んで途中の話が全部わかるわけではないのですが、想像で補える部分がだいぶ増えました。途中のスクリーンショットでイルカのような生き物が言っていた“くるーすり”とは、“クルーIII”というコンピュータのことだったということもわかりました。本作は算用数字以外の全フォントがひらがななので、イメージが非常に難しかったですね。ストーリーの骨子がわかると、簡素なエンディングそれぞれにドラマが込められていたのだと理解できました。子供たちが背負うには過酷で大きすぎる運命の導き。それを受け入れるのか、それとも抗うのか……。実は、非常に心が揺さぶられるストーリーだったのです。それらをなにも読み取れず困惑のままクリアしたことはちょっと残念なのですが、それも含めて本作のテイストだと納得できる不思議な魅力があります。
説明書の知識を頭に入れてから改めて本作を考え直してみると、SF作品として非常に面白いポテンシャルを秘めている作品なのではないかと思えてきました。強大な力を持つコンピュータに管理された世界、それに対抗できる能力を秘めた4人の子供たち。彼らは命がけで世界の真実に迫り、最後には大いなる決断をする。王道ゆえにワクワクする筋書きです。しかしゲームとしての表現方法が個性的かつ多少の技術不足で“伝説のクソゲー”と呼ばれ、唯一無二と言うしかないテイストが醸し出されてしまった。これが『星をみるひと』というゲームがプレイヤーの心に残り続け伝説となった理由なのだと、令和2年にやっと本作をプレイできた筆者は考えています。小学生の頃に存在を知り、長らく謎に包まれていた『星をみるひと』を今経験できてよかったです。本作の強烈に人を惹きつけるテイストは、噂に聞くだけや人のプレイを見るだけでは絶対に体験しきれません。自分でプレイしてみてこそ、そのすべてを味わったと言えるのです。まあ筆者は、便利な機能を使って楽をしましたが……。ダウンロード価格は990円とお手頃ですし、あなたも昭和の終わりに爆誕した伝説のゲームを苦しみながら楽しみ、当時に想いを馳せてみませんか?
この理不尽な苦労を堪能してしまってから本作にやたらと愛着が湧いてしまった筆者は、公式グッズショップで販売されているTシャツ、実は名曲ぞろいのサウンドトラックがとても欲しくなって購入を検討しているのでした。
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(出典 news.nicovideo.jp)
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